5月27日

7時間寝てすっきり目覚める。顔を洗い、体重計に乗り、弁当の用意をして、クーラーボックスにいれ、白湯を飲む。お茶を入れて、着替えを用意し、昼休みに少し読む『風姿花伝』をサコシュに入れ、車に乗り込む。家を出たとき、『花の知恵』にすればよかったとおもったが、そのまま出発する。

 

ローリン・ヒルとニーナ・シモンのマッシュアップアルバムを聞きながら通勤する。通勤中に、散歩の白く年取った犬をみる。突然寝転がって、後ろ足で腹をかいていたのを見ていたら、エピクロスのみだりに超越者を想定すること、感覚こそ大事だということが、去来する。

 

少し早い目に家を出たから、時間の余裕があるなあと、道の電線がすこし垂れているのを見て思う。少しの時間の余裕からこころの余裕は生まれる。ピシッと張っていたら反応はいいかもしれないが、切れやすい。ちょっとの余裕、余白、遊びは必要。

 

強い日差しの中、扇風機付きの服を着ながら草を刈りながら、ポテトチップスはどこまでポテトチップスか?について考える。ポテトチップスを全部食べた後に手に付いた塩を舐めるのはポテトチップスだとおもう。ドーナッツの真ん中の穴がドーナッツのように。まだ蝉は鳴いていない。

 

ものに語らせる方法について。現代生活は「もの」に囲まれていて、その「もの」には名前がある。その「もの」たちを集めて、分類すれば、その集まりから、その人らしさがかいま見えるのではないか。その「もの」を選んだひとのスタイルを伺えるのではないか。スタイルから意志が覗き込めるのではないか。

 

なんて思っていたら、昼になる。弁当を食べ、木の陰で昼寝しているとそよ風が気持ちいい。気を休ませていると、蚊がやってくる、陰の外は灼熱だから、今日は、この身を捧げてもいいかなとおもったが、刺されると痒いのでこちらも警戒する。結局そんなに気は休まらない。

 

先日、同級生の小学生の子どもに、テレビないの?部屋になにがなにがあんの?なにして過ごしてるんと不思議がられた。世界は広いよ。テレビの中の世界より、本の世界はもっと広いよ、なんたって、料理から1000年前の出来事から北欧のオノマトペのことからなんでも入っているからね。想像の羽が羽ばたくよと言おうとおもったがいわないでおいた。

 

14時30分から雲が流れ込んできて突然風が吹き始め、一気に涼しくなる。雨は降らない。キリのいいところで仕事を終えたら16時。帰り道は工事渋滞で亀の歩みだったので、抜け道を通って帰宅する。さっとシャワーで済ませて、晩御飯のカレーを作ろうと思ったものの、睡魔に襲われ起きたら、19時を回っていた。薄暗い。はっと目を覚まし、台所に立ち、ニンニクと生姜をみじん切りにし、油を引いたフライパンで香り立つまで炒め、みじん切りした玉ねぎを加えて強火でクタクタになるまで炒める。鹿肉ミンチを加えて火を通し、ターメリック、ガラムマサラ、コリアンダー、クミン、塩を加えて、煮詰め、パクチーを入れる。キーマカレーうまい!

 

食後に、入念なストレッチと1分間スクワットをこなし、今月買った本をツマミ読みし、白川静『常用字解』で「通」を調べ、今日は良質の睡眠を取りたいからと、Vital Nutrientsのmelatoninを飲んでからベッドにイン。師匠に習って、しっかりした睡眠と自分にあった栄養分と毒を入れないようにするだけで十分に体調がいい。 

 

無意識を意識する練習を日々繰り返す。世阿弥は意識が向かうところ、あるいは、その先をみよと言った。見て聞いて感じたことを言葉にする。意識はゆらゆら揺れ、確固たる自分なんていなくて、昨日と今日の自分は違い、細胞は3ヶ月でほとんど入れ替わり、「わたし」はいつでも揺れていること認識する。これも数年後遠いところへ行くため日々を見つめて過ごす。