5月22日

山下達郎が聴きたくなったから夏だ。

 

学ぶとは何か。大師匠より。

 

ヒトが「学び手」になるために、そこには必ず「教える者」がいた ということですね。われわれは学びたがり、そして教えたがるものなんです。学習はこの「学び手」と「教える者」の相互作用(インタラクション)によっておこります。ですから、どんな教わり方をされたのか、誰に教わったのかということは、学習の最も底辺のしくみになっているのです。

 

朝起きて居間へ行くと、座椅子に座って、いや座るとも寝ているともいいがたい姿勢で、テレビを見ている。家に帰ってきても、夕食を食べながらずっとテレビを見ている。ぼくはなにをまねぶのか。

 

2019年令和元年現在、アラブの石油王になるとか、空を飛ぶとかはちょっと横において、たいがいのことは実現可能である。しっかり計画を立て準備をしたら、何だってできる。できないとおもっていたり、あきらめたるのは、タダの言い訳か、想いが弱いだけなのだ。根性論は好きではないが、事実だとおもう。量子力学的にも。

 

帰宅すると、月刊遊『仏教する』『道教』が届いていた。またまた買った伝説の雑誌。ペラペラ内覧する、スーパーだ。襟を正して、正座して読まなきゃいけないな。

 

そうそう、明後日の金曜日に、京都の河原町丸太町にあるストロングスタイルのカルチャーショップ、誠光舎でトークイベントがあると知り、さっそくメールしたら予約が取れた。河原町丸太町から御所南あたりは最近いい感じのエリア。元恵文社店長の堀部さん、左京区男子メンバーのアゾナホさん、のトークショー。台湾での書店文化はどうなのだろうか。