5月20日

夜になれば匿名になれる。人の目を気にすることがない。車で少し走れば匿名になれる。やすやすと圏外に出向くことができる。本を読み始めれば匿名になれる。リアルとイマジネーション、感情とフィジカルの間にアバターを作り、分けてしまいがちなものをつなぐ。

 

雨風で本日休業の為、遅めに起きて、朝からカレーを作る。突然家中に響きはじめた有線放送では、なにやら、市の企画するビブリオバトルの要項を説明していた。掻い摘まむと、それぞれおもしろいとおもった本をプレゼンし、審査員がそれ質疑する。それを聞いた観衆が、読みたいと思った本を一つ選んで投票する、といったものだ。ぼくは、どうもこの方式が好きではない。好きではないついでに個人的な考えを言語化しておく。

 

1)数を求めると質が低下する

2)投票するヒトの好みは様々だ

3)誰に評価されるか、の誰が不特定多数より、特定少数のほうがいい

4)本を読むヒトはだいたいこの本がいいなんて大勢のまえで言わず、こそっと友人に語る

 

なんて考えながら、数日後に東京で、クラスメイトの面々と集まって、フレデリック・ワイズマン監督の『ニューヨーク公共図書館』を観に行く段取りをやりとりする。上映は現時点では東京のみで、ぼく以外のクラスメイトは東京在住。今回は参加できない。こういうとき東京はいいなあと少し思う。6月末に京都シネマで上映されるそうなので3時間30分の大作を見に行き、1ヶ月遅れで友人たちと談笑しようとおもう。なんて考えながら、本のことを語れる友人ができたことを嬉しく思いつつ、そんな人たちはアタラクシアにしかいないのではないかとおもう。どんなものにもわずらわされない心の平静が得られる場は、特定少数でしか、圏外の中でしか、ないのではないだろうか。

 

昼からひさしぶりにhtmlとcssを触る。ああ疲れた。昨年と今年に読んだ本をリストに羅列する。今年の4月は買いすぎだし、小説はほとんどないし、渋いチョイスやなあとおもうのもあるし、ざっと眺めて雑に名付けるとすると、世の中の多面的な見方を知るための本といったところか。

 

寝る前に、平成元年生まれの折坂悠太『平成』を聴きながら、ブッシュネル『ぼくがジョブズに教えたこと』を読み、風雨は防音となり、すこし大きめの音で、チルアウト・ミュージックを聴きながら、歯磨き、ストレッチ、1分スクワット。さあ寝ようと思ってひさしぶりに、ブラウザには現れない、かつ、身分証明書と合言葉の必要なラウンジに顔を出し、そこにある珠玉の文章を読み耽ける、夜も更ける。ふぁああ、眠い。