5月19日

朝に買い物に出かける。田んぼを通り過ぎると農家が草刈りをしていた。別の地域に移ると、そこではいま苗を植えていた。今日は満月。太陽と月のカレンダーを意識したデュアルスタンダードな生活を心がけたい。一方がよくて、一方が悪いわけではない。二つの相反するものを包みこむ広い風呂敷よろしく編集力を身に付けたい。

 

野菜直売所では、キュウリやトマトなどが並びはじめてきた。買わないけど。アスパラガスはそうそうに売り切れたもよう。にんにくスプラウトがあったから、もうすぐ待ちに待ったニンニクがやってくるもよう。

 

少し前の山下達郎のラジオのことを思い出す。言葉の持つ本来の遊びやメタファーに気付かず、一対の意味しかないと思い込んでガチガチに固めすぎている憂き世。Googleで検索したら、検索ワードと検索結果は一致する。その世界ではそれ以上の広がりがない。なぜならデジタルだから。デジタルは0と1の二進数だ。イエスとノーしかない。0と1以外はゴミとして捨てられる。ここに問題がある。

 

我々が住んでいるのはアナログの世界である。本はアナログである。本を読むのは。いかようにも想像力の羽が広げられるようになるためだ。アナログの世界では、デジタルではゴミとして捨てられるものが大切になる。学校帰りの道草や、授業をサボって海を見にいくことって、無駄じゃないでしょ。ね?

 

ということを、メタファーの通じない会話に思う。そんな会話ばかりだと、社会ではどうも生きづらい。我を安心して出せる世界は匿名でしかなくなるのだろうか。大罪を犯したものが殺されずに島流しにされたり、時代が変わるたびに恩赦があたえられたり、黄泉の国から帰ってくることや、そういうことがなくなってきている。白黒だけでグレーのない社会なら個人で、自立した個人の集まる集団で白と黒を混ぜるしかないのだろうか。個人でグループを作っていくしかないのだろうか。