4月24日

夕方から強く降り始めた雨がアスファルトを打ち付ける音の向こうで、カエルが鳴いている。日が暮れて外は真っ暗、蛙の鳴き声に、雨の匂いに、季節を感じる。すべてのものは言葉である。五月目前、寺山修司が読みたくなる。

 

寝る前に、ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』の「はじめに」と「一章」を読む。2008年9月21日午後1時30分に北上川のイギリス海岸に著者が佇んでいたところから話がはじまる。ここは、宮沢賢治が名付けた場所だった。宮沢賢治が亡くなったのが75年前のおなじ時刻。そんな風に、名所に行って、アーキタイプを感じることのできる日本人が少なくなった。「キラキラしたステレオタイプばかり集めて消費する日本人ばかりだ。」と言わんばかりに、自国の文化を自信を持って語れない日本人に警鐘を鳴らしている。

 

読みながら、1)若い頃の好奇心と熱意への傾倒の教訓、2)親世代の夢に対する反逆の精神、は決して失っちゃいけないこだとおもった。どうやらぼくはこのふたつを保持している。

 

1)は、大学卒業後のフィリピン留学、多読、編集学校、2)は、ステレオタイプばかり溢れる家庭や社会、実体験から得た親世代の夢と現実との差と自分の頭で考えた必要なもの、老若男女多種多様な友人たちとの出会い。1)と2)から生まれる仄かな問題を誤魔化さず疑問にして、実生活で解決していけば、楽しい生活になる。が、誤魔化してしまうと大きな問題となっていく。