4月22日

米を研いでいると、水の冷たさが緩んでいることに気がついた。家の中では裸足で動け回れるくらいに、一日は暖かい。体はまだ暑さに対応していないから、昼間の日差しにはけっこう堪える。

 

グループで仕事をする上で、大事なのはディレクションを出すひとの言葉を翻訳して、自分がなすべきことを実行することだとおもう。翻訳というと、言語を思い浮かべるが、情報のやり取りが発生するのなら、すべて翻訳だと思う。なんて、新人と上司のやりとりを見ていて思い浮かんだのが、松岡正剛『知の編集術』の冒頭の翻訳の話だった。「編集術の奥義の一端は同時通訳に生きているということをずっと感じていた。相手が属する文化に踏み込んで、ふさわしい言い方を発見しなければ通訳なんて成立しないということが、私がながらく考えてきた編集という方法にぴったりあてはまっていたからだ。」

 

6時前に帰宅して、晩御飯を作る。「九鬼純正胡麻油こいくち」でクミンシードを弱火で炒め、食べても食べてもなくならないキャベツと、鍋の残りの水菜、ディルを加えて、ささっと炒め、塩胡椒で整える。本日の晩飯は、野菜炒め、先日の残りの鹿肉カレー。料理に困ったときは、新鮮な野菜を一口サイズに切り、ちょっといい油をフライパンに垂らし、さっと弱めの強火で炒め、ちょっといい塩胡椒だけで十分だ、申し分ない。汁物が一品ほしいなと思ったら、水出しで常備している昆布ダシと合わせダシで、さっと味噌汁も作れる。水からダシをとるのは、有元葉子さんの本から学んだ。覚えるとダシを取るのってちょー簡単でうまい。

 

日常を見る目を変えると、同じように見えていた毎日が違って見える。どういう風にものごとを見るのかというのが視点で、視点がたくさんあることを知るのが知識で、知識を自分化していくのが知恵なんじゃないだろうか。オリジナリティなんてない、本で読んだこと、だれかがいったこと、を見よう見まねでトライアンドエラーを繰り返すことで、知識は知恵となり、スマホのゲームやテレビより生活の方がよりエンターテイメントなのだと気づく。翻訳能力はいつのまにか身についている。