4月15日

明け方に雨が降っていたようだ。朝の空に黄ばんだ塵はなく、澄んだ空気がおいしい。一日中、北風は吹き荒み、満開の桜は塵のごとく散る。

 

事務所で軽トラに乗り換えて現場へ向かう。FMラジオをチューンインして、ラジオを聴く。竹内まりやが流れた。メモリのない音量のつまみに手を伸ばす。右に回せば音量が上がり、左に回せば下がる。デジタルの数字でメモリを可視化していない。聞きたい音量までつまみを回す。雨が降ったらミステリーを読んだり、あの桜が見頃だからと道草をしたり、フェチ=好み=数奇を認め、大切にしたほうがいいよなあ、とアナログのつまみから思う。

 

空海のことをもっと知った方がいい。日本きっての名プロデューサーのことを。結び、バツという印、文はあやと読む、文化文明の起源を表す、結ぶ。離れているもの同士を結んでいくことがいかに重要だったか。空海はいろんなものを結んだ。全く関係ないと思われているものを結んでいくことで、大事を起こした。そしてこれら結ばれたものは成長していく。

 

Khruangbinのライブアレンジを聴きながら( https://soundcloud.com/gottwax/khruangbin-gottwood-mix-018-live-from-gottwood )、帰宅する。春のステレオタイプ、春といえば桜なのだろうけど、椿もいい。山あいに見事に咲き乱れている。分厚く濃い葉っぱと赤い花弁の凄みにしばし目が奪われる。それがころっと一斉に道に落ちているのもいい。道が咲いているように、面影が残っている。

 

帰宅して、鶏がらスープにナンプラーと塩とレモンで味付けして東南アジア風スープを作っていると、アマゾンから黒猫さんがやってきた。『中村元の仏教入門』が届き、1章読む。ちょっと前に友人の勧めで手塚治虫の『ブッダ』を読んでいたから、地名や人名にあまり煩わされることなく内容に入っていける。一章ではブッダの背景のことが綴られている。お釈迦様のシャカは一族名前で、本名ゴータマ・シッダルタが、菩提樹の下でブッダになった。ブッダは覚醒した者のこと。日本の生活には仏教の考えが染みついているのに、ブッダのことをよく知らない人が多い。