4月12日

田んぼに水が入り、畦の桜が水面に映る。すきっと晴れた空の夕日に加川亮の流行歌を聞きながら、帰路を車で走る。帰宅して、なにも考えたくなくて、『空海の夢』の音声を聞きながら、オイスターソースとたまり醤油の鹿肉チャーハンを作る。

 

日本の「ムスブ」というコンセプト、「文」という表意文字とその概念、に心底やられる。昨日届いたプラネタリーブックス『超民族学』を思い出し並列処理しながら、寺尾紗穂『彗星の孤独』のつづきを読む。ひとの日記を覗き見するのは楽しい。少し読んで、就寝。明日の朝は早い。

 

いま10冊くらい平行読書?つまみ食い読書をしている。おもしろいことに、ひとつひとつの本にはそれぞれの世界があって独立した意味の単位を形成しているているはずなのに、並行して読んで行くと、本それぞれが互いに一冊の本では結べない折り目によって、新たな意味の単位を形成していく。それはあたかも、街角の文字が流れる電光掲示板のように、続けざまにオーダーされることで、別の意味が生み出されていくのに似ている。電光掲示板に「お」「は」「よ」「う」と一文字ずつ流れてくる。単独の文字として扱うときと、流れる文字をひとまとめにして認識したときでは意味が変わる。人生はそんな感じなのかもしれない。ひとつのできごとだけを見ているときと、出来事をリニア(流れと全体)で見ているときとでは、風景が大きく違う。流れる文字をグループで認識すると「おはよう」であるように。別様の可能性は結びの中に隠されているのだろうか。