5月6日

グッドウェザー。旅先でくたびれた寝袋を洗って、長期休暇の汚れと疲れを取るように、どこにもでかけずに自宅でゆっくり過ごす。母屋の南北の窓を全開にし空間に道をつくると、風がすーっと通る。気持ちがいい。

 

インターネットアプリで、昨日の山下達郎のラジオを聞くと、電気グルーヴのN.O.が流れる。それから、リスナーのメッセージリクエストと選曲を繰り返す。達郎さんはよく「ベタ」とつかうけどそれの意味をおしえてほしいとリスナーの質問に対し、達郎さん、いやいや真に受けすぎ、とらわれすぎと一蹴。多義的で多面的な世界を一対一対応にしてたら、息苦しくなるだけだ。そういうとき、親父ギャグに救われる。

 

16時30分がまわるころに、だんだんと外は薄暗くなって、風が強くなる。開けていた窓から冷たい風が入ってくる。上着を羽織り、まだ片付けていないこたつにはいる。部屋の戸がすきま風でガタガタ鳴く。パソコンから流れる音楽を消す。静けさと、風のにおいがたまらなくいい。場所のことを考える。まずデザインに目がいく。だけど場所には空間性があって、音や匂いや暗さがあることを思い出す。かつての竪穴式のなかから風雨が通り過ぎるのを待つような気持ちになる。17時過ぎ、裏の庭の竹がざわついてきて、雨の匂いが入ってきた。

 

雨風が強まり、ガタガタし出す音を聞きながら、ロジャー・パルバース『もし、日本という国がなかったら』を読みおえる。気になった文章をいくつか引用する。

 

「会社づとめに身も心も捧げつくして、結局それでいったい何になったというのか?できあがったのは、父親は子供のことをろくに知らず、女性は出産を望まなくなり、老人は家族からも国からも見捨てられたと感じている社会。これでは若い人がそういうのに私はなりたくないと思うのも当然です。」

 

「日本の芸術の特徴は、こうだ、これが正しいやり方、というものが特にないことです。」