3月20日

車を降りると、風が吹いていた。風は春を連れてきた。谷から立ち上がる風に乗って春の匂いがわたしを通り高く舞いあがった。春のもやの中に山は消えていた。

 

さて、この季節がやってきましたよ。この季節は毎年不調になる。冬を越すために秋頃からエネルギーを貯め春先には芽生えて花を咲かす木々のように、ひともまた春には冬に溜め込んだ毒を一気に体外へ汗として放出する。ああつらい、デトックス作用は体にとって善だとわかっているが、やはりつらい。昨日に続き、こころは体につられている。あたまがふわっと、ぼやっとしている。こういうときには何かを作ることがいいんんだろうなとおもうのだけれど、その仕込みの最中だかそれもできない。

 

そりゃ、一年中フルスロットルで動き続けられればいいかもしれないが、こうやって、ぼやっと、ふにゃっとして、安易な表現で言うなら壁にぶち当たったところから、動き出すことが発見なのだとおもうと、まあしばらくはこの状態にいるのだって悪くはない。例年から推測すると、梅雨明けごろからフルスロットルで動き出せるのだけど、今年はどうだろう。いまはゆっくり読書にしよう。

 

岡潔・小林秀雄『人間の建設』を読み終え、「情緒」だな。「情」だな。理屈よりも情を動かすことだなと読後感に浸りながら、寝る前に、ちくま日本文学の寺田寅彦の『団栗』を読むと、「人間の心が蒸発して霞になりそうな日だね』とあった。今日はそんな日だった。