2月10日

朝起きて最寄り駅まで友人を迎えに行く。その足で、野菜の直売所へいき昼飯の食材を仕入れ、家へむかう。道中の車内は、久しぶりに会う親しい友人と話がはずむ。いろいろの話をすることで、ノンリニアに散らかっている事柄が実は見えないところで繋がっている。分けているのは固まったわたしの思考なのだ。それをときほぐしたら、2019年の絵が思い浮かんできた。

 

昼は僕の得意の猪鍋をつつきながら、会っていなかった期間のできごと、読んだ本や、行った場所、いまやっていること、これからやろうとしていることを、グツグツをBGMに話す。うまい酒とうまい飯を囲んで話す時間と場所と友、本を読み考え行動するひとりの時間のバランスはとても重要だ。まさにエピクロスのアタラクシア。

 

で、思い描いた絵空事をざっくりと書いておく。おそらく今年のキーポイントは3月初旬の東京。会わなければいけないと思って切望していた21世紀の日本の最高の知能に会うこと。指南してくれたタイ育教師風師範、空飛び師範代、ともに学んだ仲間と会うこと。そのときには、これから読もうと思っている仏教の方法についての本を聞こうと思っている。ひきつづき、学校に通おうとも思ったが、ここいらでいったんインプットモードに切り替えてから、今年の秋に次の段階へと足を進めようと思う。春夏には身体感覚と机上の空論と歴史をひっくるめて世界を見ようと思う。今年は岐阜や白山一帯に縁のありそうな年の予感。秋冬はまた学校に通おうとおもう。稽古の毎日で引きこもる。

 

「事物の真理を探究するには方法が必要である」とデカルトが言ったと松岡正剛『遊学Ⅰ』にあった。そうだよなあ。そこなんだよなあ、まずは。知りたいことや、やりたいことってやりはじめたら枯渇するんじゃなくって、実はやればやるほど溢れ出てくる。そのことがわかったら、一旦立ち止まってそれらに共通する方法をまずは身につける必要があるんだよなあとおもったのが、ちょうど一年前。そして、ちょど一ヶ月後の3月の東京で巨人と遭遇してどうなるかだ。すべてはそこからはじまるのだろう。