2月3日

立春。9時前に目が覚めた。冬は今日までで、明日から春だ。起き抜けにシャワーを浴びて、さっと着替え、車のエンジンをかけて、プレイリストon the roadをシャッフルで流したら、Grateful DeadのRippleが流れた。今週の食料を買い出しに道の駅へ向かう。9時オープンの店内では、根菜から葉物へと野菜の勢力図の移ろいを感じた。9時30分前に着いてぶらっと歩きながら棚には蕗の薹がのこりひとつだった。

 

世界や事実はひとつかもしれないけれど、その見方は多面体だ。ここ数年、食べ物のことについてよくよく考えて実践している。僕の周りでは3食コンビニや外食のひともいれば、好きなものを好きな時に食べる人もいれば、肉も調味料も含め自給率70%の強者もいる。食べ物という見方に対しても多面的なのだ。何が違うかというと、分子:食べ物、分母:健康、手間、理念といった具合に、分母であり地が違うのだ。とまあ、almost peopleは食べ物に対してはテキトーなのわけだけど。まあ、なんだ。春の萌しが見え隠れするこの時期の蕗の薹が今日の道の駅で一番の売れ筋だったことには、ちょっとほっとした。

 

うちに帰って、さっそくふき味噌を作る。数分水につけて戻し、水分を拭き取ったら、根元に切れ込みを入れ、土鍋に水と酒と一緒に入れ煮立てる。煮立ち、ひたひたになる頃合いに味噌を加え味を整え、さらに煮込んだら、みりんと醤油でさらに味を整え、水気がなくなるまで煮る。ひゃああ、苦い。たまらん。

 

夕方急に薄暗くなり強い雨が降った。カタカタ窓ガラスはなり、すきま風が家に忍び込む。ヒデ(中田英寿)の本を少し読む。その土地土地に根ざした日々の当たり前の生活。当たり前だからこそインターネットに載らない。「毎日、何を食べ、何を飲み、何を作るのか。どんな祭りがあり、どんな自然があるのか」とあった。

 

ぼくの肌感覚で話を続けると、祖父祖母や親の時代には、戦後の影響からか、教育は歴史を忘れることに徹したようにおもう。一方で、戦争の体験談を本人から直接聞く機会がほとんどないわれわれミレニアル世代は、そんな世界の物足りなさや薄っぺらい皮で応急処置的に隠された傷を敏感に感じ取っている。隠されている歴史がとても大事だということに、気づきはじめている。気づいた人は、勉強している。それがぼくの肌感覚。もちろん、学校では教えてくれないから、自分で興味を持って、調べ出す。すると、知らなかったことに出会う。その喜び、事実に直面して、どうするか。われわれミレニアル世代は、そこでなにをするかだ。