1月31日

薄暗い空、車のヘッドライトを灯して、会社へ向かう。シビシビと雨が降りはじめる。今日は今年最初の月の末日。 朝、スマホでBBCのヘッドラインを見ていると、北アメリカが氷河期のような気候に見舞われたようだ。( https://www.bbc.com/news/world-us-canada-47053699 )地球温暖化と叫ばれて数年経つ(その認識のまま、情報更新していないひとに告ぐ)。数年前は確かにそうだったが、いまは数年後には小氷河期が30年ほど続くというレポートが提出されている。ぼくは、せっせと寒さ対策の用意をしている。 エネルギー源は電気だと弱いだろうな、 食の問題は、などなど。とりいそぎは、突発的な超寒波の対策として、小さなカバンに、チョコレート(超 おいしい)、防寒シート(NASA開発の)、浄水器(ポータブルの)、ソーラーパネル(モバイル)をこそっと持ち歩いている。そろそろ、気候の認識を変えたほうがいい。 数ヶ月おきに、自分の持ち合わせている当たり前の更新をどんどんすすめたほうがいい。コツは、複数の国のメディアをまたぎ、複数の目をもってあるできごとをみること。たとえば、BBCとNY timesと日本の新聞から地球の現状を見る。生きていく上で、最大のリスクヘッジは分散であって、寒さに対応するには、準備が必要なのだ。

 

昼過ぎで仕事を早めに切り上げて、家で鈴木一誌『ページと力』を読む。『デザイナーは、「美しい」とはなにかを、ことばによって説明しなければならない』とあった。「日本の仮名文字の濁点はなぜ二つなのか。一つでもよさそうなのに、どうしてか。こんなことを問い詰めるデザイナーはめったにいないだろうが、鈴木一誌(すずき・ひとし)はそういうことをちゃんと考える。」と千夜千冊に書かれている。そんな著者が書いたのだから、本の詳細な見方を学べる。それにしても、ぼくたちは最近、言葉をぞんざいにあつかったり、放棄したりしすぎではないか。

 

少し昼寝をする。結局、コツコツ積み上げるしかないんだろうなと思わせる夢を見た。深層心理でそうおもっているのかどうだかわからないが、本当にその重要性を重々感じている。なにごとも準備だな、いきなりあいつなにやっとんねんとおもうとき、そのひとはだれにもいわずに、こそっと準備をしていただけなのだ。

 

バロウズに倣って新しい言葉を作る方法を学んでいる。その指南が返ってきた。意識を越えるには、方法でしかない。カットアップに、フォールインにより、思いがけない言葉は生まれ、それらは読み手の想像力によって解釈される。方法の目から、最近の食事について考える。順番はいつも大事だ。1:わるいものをいれない、2:デトックス、3:いいものをいれるの順で食事を楽しんでいる。ここには感情を入れず、方法で健康を目指す。

 

YMOが一世風靡したのも、スターバックスが全世界的になったのも、Khruangbinがいいのも(主観か)、主題ではなく方法に突入したからだったんだ!大師匠が、主題でなく方法といっていた意が、腑に落ちた!

 

最近、坂口恭平さんが再び気になっていると言っていたのは、彼は主題ではなく方法にアプローチしていろんなことをやり続けているからだったんだとおもった。毎日22時に寝て4時に起きて、20ページ文章を書く、という方法を続けている、いや腑に落ちた!方法に着手して創造しつづけた過去の人に興味がでてきた。自分で決めた日課をひたすら続ける。きっかけは何だっていい。方法こそすべて。

 

この日記も、2年近く続けている。なにがかわったかというと、うまく内省できるようになった。行動にひっついている思いを取り出し、言葉にできるようになった。習慣ははじめは苦だが、慣れりゃ呼吸と一緒だね。

 

ここ数日、わるいものをいれない体にいれないようにして以来、試しにわるいものをいれている。3日ほど我慢せずに。そしたら、やっぱり体調不良だよね。(悪を知らない正義なんて信用できないし、経験したことで無駄やったことを省いていいと思うことを教える、無駄なことの重要性を説かない師匠や親や先生を信用できないよなという、言い訳です、欲望に負けたことを認める。)

 

冷たい雨が降る中、ボブ・ディランのIt ain't me babyを聞きながら、体のコンディショニングのため車を走らせば、思考がぐるぐる巡る。明日から2月。