1月25日

少なめの睡眠時間にしてはすっきりな朝。食事の効果が現れているのだろうか。そうおもうのは、時期尚早か。

仕事場は圏外、さながら浮世ばなれ。電波は届かない。携帯の音は鳴らない。山を下ればピロリと着信あり。圏外と圏内の複数拠点をもっと高速移動するためのレールを敷きたい。

山では「雨降ってきたな」と天気都合で仕事をダンドリ、お昼の知らせは「腹が減ってきたな」と腹時計のアラームを聞き、帰宅の時刻は「日が翳ってきた」と不定時法の和時計に委ねる。時間は時計より身体感覚に合わせている。時計を見たら12時ごろだからお腹が空くんのではなく、お腹が空いたから時計を見れば、12時ごろなのだ。「 暗なってきた」「さむなってきた」から「帰ろ」なのだ。

帰り際に、頼んで置いた猪の骨をいただく。おまけに猪肉2kgも。これにはあがった。今日一番あがった。いやっほっほい!

夕食後やはり少なめの睡眠だったせいか、眠気ががつっときた。30分ちょっと寝るつもりが気づいたら3時間寝ていた。国語の学校に通う夢を見た。途中で通うのをやめていた。楽しくなかったようだ。現実に戻ると、国語の学校ではなく言葉の学校に楽しく通っている。現実に対してカウンターな夢だったなあとしみじみ。メンタルは夢でバランスを取っているように思えた。

なにごとにも評価というか批評が大切だと思う。それもグッドな。仕事でも、フットサルでも、学校でも。よくよく考えてみると(考えてみなくても)、カリキュラムがあり、体系化されていたとしても、ひとの行為は簡単にそれらの評価にあてはめられるものではない。 そうしてしまうと評価にがんじがらめになってしまうから、そうじゃない評価をしてくれるひとを持つべきなのだ。(少し前に、人生の半分はいい師を持つかどうかだと言ったが)まあ、その評価の世界でも生きながら、次元の違う評価を複数持つといいんだろうな。ソフトもハードも圏内と圏外を高速移動だな。

ここ数ヶ月ほとんど本を読めていない。本以外からの重要なインプット時期であり、アウトプット時期なようだ。そんな生活もあと1ヶ月。