1月8日

くもりの朝。控えめな冷え込みでも、外の車はフロントガラスが凍っている。

 

すべての仕事に役得があるとするなら、いまの仕事の役得は、21世紀の日本で早く帰っても文句ひとつ言われないこと。冗談半分、本気半分。堂々と昼寝できること。猪肉をいただけること。山の上からクニを見下ろせること。疲れて家に帰るから働いた感満載なこと。自然の動向に敏感になること。

 

自然の動向に敏感になれるというのは、風の向きや、太陽の方角、夜明けの時間と夕暮れの時間、を里よりも少し早く知れること。んー役得かね?とおもったあなた、役得なんです。かつては自然の動向にとてもとても敏感であった。ちなみに、正月飾りなんて、まさしくそう。

 

「山と里の交流という光景こそが、日本の古代中世の基本的な交流のイメージの原型をつくるわけです。」「ではなぜ、里の人々はやまから来るものを畏怖したのでしょうか。オオカミやイノシシのような動物に対する恐れもあったとおもいますが、山には里にはない格別のスピリットやエネルギーがあると考えたからです」(松岡正剛『花鳥風月の科学』より)

 

でだ、そもそもの神社ごとにはご利益なんてない。ああなんか風が通った。なんかおわしますなあ。そもそもがそうなのだから、ご利益ないわとおもってたら、その隙をつけ込まれるとヨシカワが話した。いろいろのことの「そもそも」を「アーキタイプ」を「原型」を「地」知っていなくちゃとなおさら思った。

 

認識の甘さと、認識したあとの方法の欠如かな。

 

ファインマンは「意味をつくりだそうとすること」が「考えること」であり、そのことを伝えようとすることが「教育」や「学習」であると確信する。(千夜千冊『ご冗談でしょファインマンさん』より)

 

やっぱりなっ。