1月7日

仕事初めの穏やかな朝。通勤の道中。車ゆらゆら、頭ぐるぐる。

 

昨日の師範代の手土産に、頭の中が右往左往ぶらぶら。「その定義は「物事を深く思考し、自分の考えを組み立て、事の本質を追求し続けるための“手段としての読書”のこと」です。読書を目的とするのではなく、自らの考えを組み立てるための”手段”としての読書を指します。」

 

僕たちが受けてきたテストは、穴にぴったりの鍵を探すものだった。現実を見れば、鍵穴だらけの、鍵だらけ。そう正しい答えはない。いやあるのかもしれないが、刻一刻と答えは変わっていく。もしそうなら、答えを持っていても仕方がない。答えへの地図を持たなくてはいけない。

 

世がむちゃくちゃになり、関係がずたぼろになるのは、そもそもを学ばないから、アーキタイプ知っていないと、むちゃくちゃな事が起こってしまう。起こってしまっている。学校を卒業以来ほとんど勉強しないのが日本人なら、その考え方は、学校で習ったこととテレビで見たことによってできている。ということは、そこにアーキタイプがない。これがすっごく問題なのだ。

 

日本人からすると、歯を金歯にするのはなんだかちょっととおもうかもしれないけれど、中華圏では歯を金歯にする。その背景には、日本は国のトップが創建以来事実上変わっていないが、中国は時代によってコロコロ変わり、国のトップが変わったらそれ以前の文化が潰されお金の価値が変わった。そんな時代背景の違いを知っていれば、現金に価値を求める日本人と、現金より金のほうに価値を置く中華圏に違いが生まれる。中国で電子マネー浸透しやすいのは、現金でないからなのだろう。

 

いまさら改めなくても、本が大切だ。世の中になんて絶対解がない事を知るために、そんなカオスな世の中で解を求めていくための思考の枠組みを得るために、言葉でできている世界を知るために、自分の思いを詳細に言葉で伝えるための語彙を増やすために。

 

人生の半分はいい先達に出会うかできまるような気さえする。

 

毎年の年末年始を振り返りに割いていると、その思考は日常生活に溶け込んでくる。プライドはマジでいらないこと、間違っている自分に気づいたら昨日正しかったことでも今日変えればいい、なぜなら、未来の正しさに重きを置いているから、プライドは捨てろ。いいわけをしているときは気をつける。自己認識をとても大事にすること。確固たる自分アイデンティティなんてないことを知る。たくさんのわたしによって、わたしができている。