12月31日

はっぴいえんどのしんしんしんを聞きながら、しんしんと昨日から降っていた雪は今朝はすこししか積もっていなかった。朝から、ストーブで餅を焼く。

 

なにがお正月といわれれば、これ一つでお正月と語れるようなものはほとんどなくて、いろんなものやことが複雑にあるいは用意周到に寄せられてお正月が仕立てられていく。ストーブで焼けるお餅の焦げたにおい、近所のおじさんが注連縄をつけるのに用意した脚立、こたつにみかん、大掃除の慌ただしさなど。

 

お正月がたくさんのお正月でできているのと同様に、わたしはたくさんのわたしでできている。けっして、確固たる唯一無二のアイデンティティを持った個人がわたしではない。ということが、2018年で得た大きな気づきであった。

 

さて、今日のわたし。

 

正月休みで目覚ましをかけずに寝るぐうたらなわたしであり、2日前にとった鶏スープでフォーをつくるしっかりもののわたしであり、朝からストーブの前に陣取る餅奉行のわたしであり、雪が積もって白くなった風景にテンションのあがるわかりやすいわたしであり、今晩すこし遠くにいくのを心待ちにしている幼子心のわたしであり、その綿密な計画を立てる設計者のわたしであり、物理的に精神的に社会的に遠くへしばらく行くことがデトックスと考えているヨギーである。今日のわたしでさえ、まだまだいる。明日のわたしはもっと変わっている。

 

学校の師範から檄が飛んだ。いやーこういう檄の飛ばしかたに、隠しながら燃えたぎるぼくの性格をわかっているのだろうか。すぐさま、『角川類語新辞典』を購入する。

 

そうこうする間に2019年がやってくる。その前に、夜のしずかな夜の道を車を走らせ、遠くの雪国へ向かう。明日には年号が変わるけれど、さっぱり新しいものに生まれ変わるわけではなく、2018年を、いままでを引き継いで新しくなる。陽の盛り衰えのように時が変化するように、われわれも変化している。すでに来年のやるべきことがむこうからどんどんと押し寄せてきている。これをひとは宿命と呼ぶのだろう。

 

それでは、みなさま、よいお年を!たくさんのわたしを見つけましょう!それでは、Let's freak out!