12月23日
僕はいつだってディランの姿勢をみならいたい。 フォークや、ロックや、ルーツと他者がジャンル分けして、スタイルが変わったことを揶揄されたとしても、普遍的なのはディランの姿勢であって、それは、俺は配達員というものだ。ディランは音楽を運んでいるのだ。ものを運ぶとなると、運ぶもののことを考えなければいけない。アイスクリームを運ぶなら冷凍で、鮮魚ならスピード重視、重い荷物なら大型のトラックで、大切なものは厳重に、運ばなくてはいけない。
そうなるとものに合わせて配達方法が変わるように、歌にわせて歌い方が変わるのは必然なのだろう。その歌がもっとも美しく聞こえるように歌うために。それがスタイル。昨今は、歌をおろそかにしすぎている。ひとの荷物を勝手に開ける配達員が増えすぎている。オリジナリティとかアイデンティティとかいいながら高音ファルセットで歌っているようだけじゃあたまりませんな。Angelina Jordanを聴いてみなはれ。はいっ。
そんなディランの歌を届ける姿勢のように、ぼくは何かを生み出すというより、なにかを届けるひとでありたい。