11月17日

学校に通い始めて3週間、もう本当に楽しくて、他のことをやる時間がない。大好きな本を読む時間さえ、少ない。何かを新しくはじめるなら、何かをやめなければいけない。なぜならわれわれはみな24時間しかもっていないから。

 

僕の師範代が、師匠が、そうであったから、ぼくは、古いことと新しいことの、少なくともこの2面から真実を見ようとする。師の教えが、そうでなかったら、ぼくは医療を医療としか、歴史を歴史としか、食べ物を食べ物としか、見ていなかっただろう。師の同好や言動は、弟子の考え方の轍となる。氏より育ちなのだ。

 

僕の周りには、いろんなことに果敢に挑戦する人が多い。周りにそういう人がたくさんいるから、ぼくの思考もそういう型に変わっていく。氏より育ちなのだ。

 

もし今の自分に飽き飽きしたら、自分の周りを変えるに限る。それに順応するのが人間の能力なのだろう。氏より育ちなのだ。

 

時間がないのは、課題が多いせいではない。課題の翼が広がるからだ。本来宿題とは、こういうものだろう。課題を終えて、課題から漏れた課題、課題の先の課題のことを考える。学ぶことってたのしい。見えているはずの見えていなかったものが、見えることが楽しい。あるいは、遠くに見えていたのに、徐々に近づいて、気づけば目の前にあるように。