10月13日

夜、内田繁『インテリアと日本人』を読む。デザインは語らないものとだれが言ったかわからないけれど、デザインは語られて来なかった。けれど、内田さんはこの『インテリアと日本人』で、日本のデザインについて語っている。デザインを言葉にしている。このところ、ぼくは言葉にするということがとてもとても大切だとおもっている。言葉の力は、国力に匹敵するとさえおもっている。白村江の戦いで破れたあと日本人は日本語(万葉仮名)を作り国家を定めていったし、毛沢東のあと鄧小平が中国語を改編して中国の勢いが増したのだから。

 

親や年の離れた世代に感じていること。歴史を否定している、あるいは、追求していない(そういうつもりはないのだが、そう見える)、古いモノを捨てる(廃仏毀釈の感覚が残っているようにおもう)、自分の手で作ったものより買ってきたもののほうがいい、など。

 

近代では情報化が進み、他国の文化が自宅にいながらわかるようになり、それと比べることにより、日本の独自性がわかるようになった。基準はあって、比べるものができて、ひとは、はじめて違いに気づく。その文化の違いの気づきと、近代に続けられてきた、文化を否定する生活がぐちゃぐちゃにまざりあってにっちもさっちもいかない感じをぼくは感じている。効率重視の社会と受け継がれてきた風習は、油と水か、はたまた、どちらかがどちらかを飲み込むのか。それなら言葉に飲み込まれた方がいくぶん気持ちがいい。