10月8日

先日の台風で倒れた神社のケヤキの伐採。ちょうど神社は修繕中。1250年前に建てられた拝殿の柱が古くなったので建て替えるのだそう。川を渡って、囲いで覆われている拝殿に入ると、すでに解体が終わっていた。柱や梁は綺麗に片付けられ、その空間は空っぽだった。

 

ふと、足下を見ると、地面に等間隔に石が置かれている。この石の上に1250年のあいだ柱が立っていたのだ。目の前で1250年の時間を目撃した。空っぽの空間に置いてある石に面影が現れた。とても感動した。おそらくこのまま石は動かさず、その上に柱を立て直して拝殿を修繕するのだろう(たつ=立つ=建つ、建築というのは石の上に柱を立てることなのだろう)。

 

地面に置かれた石の断面をまっすぐするのではなく、石はそのままに、石の上に置く柱の断面を石に合わせていく。そうなると、ひとつひとつの柱の断面を変えていかなくてはいけないが、そのほうが揺れに強くなるのだという。

 

ここのところいろいろおかしいなと生理的に感じることが、問題として噴き出しているように思う。その解決法を、一時的な感情や利益だけで変えてしまうことを虚しくそして寂しくおもう。ぼくたちが不安を感じるときは、だいたい無知なときか、思考停止のときか、不健康なときなんだとおもう。ただいま、いろいろの問題を見るとき、「透明性と男女雇用機会均等」を解決しているかどうかに注目している。