10月5日

夜、地元の文化会館で、見仏記トークショー。もちろん、いとうせいこうさんとみうらじゅんさんの対話ライブで、テーマは櫟野寺。33年に1度の十一面観音菩薩の開帳を記念して行われた。

「がびってる」「がびってる」とみうらさんが連発する。見仏記は、ふたりで各地へ仏像を見に行く旅のナレーション。仏像はお寺にあるからお寺を探さなければいけない。そんなときに、まず注目するのが山で、中国の峨眉山に似ている山をまず探すという。「がびってる」と彼らが発したら、「峨眉山みたいなやまやからその麓には間違いなく寺がある」と言っている。寺は山と結びついている。

千手観音像がある。関西では、手のでるところがしっかりしている。東北では背中に箱があってそこから手がでている。当時のメディアは前から見た絵や言い伝えしかなかった。実物を見ていない人たちは、伝えから出で立ちをイメージして仏像を作った。それがバージョンとなり、バリュエーションとなった。

仏像のことに興味が湧いたというより、彼らの仏像の見方を見る目に学ぶことが多かった。どういうふうに見てもいいということ、それをみるときには歴史や文化や自然とセットにして仏像の図だけではなく地を注意しながら見ること(図は仏像とするなら、地は仏像の種類や、その土地の文化、また見仏記ならふたりがその仏像に出会うまでの出来事や会話)、ある現象や仏像をネーミングすること、ああいい編集の場に立ち会えた。

夜、寝る前にベッドに寝ころびながら、ムナーリ。子供は少ない知識をフル活用、大人はたくさんの知識を持て余す。使う方法を知っていないだけ。ああそうなんだな。世の中、いろいろ勝手に思い込んでいることが多いこと多いこと。