8月21日

ぼくは理屈っぽいところがあるが、理屈をはるかに上回るなにかが好きで、最後は直感を信じたいから。そのときに注意しているのは、まわりのみんなはそう言っているという視点から語らないこと、自分はこう考えた結果、そうした、だからこうだとう思考の流れを意識している。それは最小限の動きで、最大限の効果を得たいし、無秩序の世の中で、秩序を自分なりに作って楽しさの再現性を組み立てたいからと理屈っぽいことをいう。

ああもう理屈はいいからなんて言われるが、テキトーに言ったことがウソを言っていることになるなんて夢にもおもっていない連中だっているのだから、やっぱりそういうところはしっかりしたい。なんにしても、あらゆることは理屈の上に立っている。たとえば、自然とか建築とか仕事とか音楽とか。関係なさそうなことに見えてそこには理屈がある。ぼくはおいしいものを食べ、楽しい旅をし、おもしろい話をしたい。おいしいものを見つけるには、その土地の自然や気候を理解しないといけないし、たのしい旅にしたかったら健康でなければいけないし訪れる土地の文化を知り(文化もその土地の自然から生まれてるわけだし)、おもしろい話をしたかったら、自分の足で現地に赴き自分の目で見たこと感じたことを自分の頭で考え自分の言葉で伝えなくてはいけない。さて、どうだろう、理屈っぽいことはだめなのだろうか。

つべこべ言ってるのはぼくだったわけだ。楽しけりゃそれでいい。