8月19日

朝、Youtubeで細野晴臣のデイジーホリデイを聞く。最近聴いているラジオは、細野晴臣のデイジーホリデイかピーター・バラカンのバラカンビートだけ。ほとんどのラジオ番組が音楽好きのためのものでなくなった。細野さんが、最近の若者が、昔の音楽を懐かしい音楽や古い音楽と捉えずに、新しい音楽と捉えるのは知らない曲だからと言った。そうだ、いまSpotifyのradio機能で音楽をシャッフルしていて、いいなと思った曲は70年代のブラックミュージックだったりする。知らないことを知ることが新しいことであって、そこに昔のとか、最新の、は関係ない。

午前中は地元でサッカー。ひさしぶりに120m×68mのピッチでボールを蹴る。広い。久しぶりのサッカーは楽しかった。中学を卒業して以来の久しぶりに会う同級生と会う。時間は刻一刻と過ぎていくことを改めて感じた。時間との付き合い方をととのえよう。整えた時間の中で、見えないものの言語化、ものの見立て、物語の読解へ向かいたい。国力は言語力なのだと最近思っていて、誰もが日本語に入り込む覚悟が必要だ!と思っている。自然の中で育ったひとは感覚的にわかるが、その感覚を人に伝えるには、言葉が必要になる。あれはこうなんやだけでは足りなくて、言葉に入り込んだなにかの達人をみればがよくわかる。宮本武蔵や柳生宗矩はすごいし、法隆寺を建てた宮大工の西岡常一さんやその弟子の小川三夫さんが、感覚を言葉にするときの意気込みをびんびんに感じる。


夜は京都で、友人と焼肉。もちろんアジェ。久しぶりに会って、近況を話しながら、これからのことを話す。話しているうちに、やはり時間との付き合いが大事だとふたり納得し岐路につく。