8月7日

目覚めのいい朝。今日は立秋。ここのところに比べると、過ごしやすい。通勤中に、また白洲正子が去来する。「信仰の形というものは、その内容を失って、形骸と化した後も生きつづける。そして、復活する日が来るのを息をひそめて待つ。ということは、形がすべてだということができるかもしれない。」神社の柏手や、鳥居の向き、祝詞や舞踊の仕草など、なぜそうするのかを忘れても、その動作に意味が内包している。いつかだれかが思い出してくれるのを待っているように、ぼくたちは脈々と受け継がれてきた動作を繰り替えす。あたかも、四季が繰り返すように、はたまた、月が満ち欠けを繰り返すように。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)

 

暦ではもう秋です。