8月1日

8月です。はやいはやい。季節が回るのが早すぎる。

 

大人はずるい。なんでも自分のおもうままにならなかったり、なんかいわれたり、対案を出せば、屁理屈ばかり言いよってと、ひとことで、こちらのすべてを吹き飛ばす。なぜそれをするのか、理由を聞いているだけなのに、いちいち無駄口をたたくなと言う。こちらの考えたアイデアを「ええなぁ」って認めるか、あるいは、そのアイデアのいたらぬ点を指摘して、話し合えばいいのにとおもっているのに。つべこべ言わず、俺の言うとおりにやれ、では話にならない。問題に対して、問題が起こりそうだからでは理由にはならない。こうしたほうがいいと考えた結果そうしたと説明できないようじゃ誰も納得させられない。納得させられなければ誰も動かないだろう。そのためには、なぜそれをするのかを考えておかなくてはいけないし、自分自身に価値の判断基準を持っていないと、説明しなければいけないときに、狼狽えるだけだし、その説明が嘘に聞こえる。だから、そこを端折ったら絶対にだめだ。暑いときにそんなことを言ったものなら、ああもういいって、ひとことで片付けられる。暑いから体動かないから、頭を動かすのがいいのに。とまあ、人の話を聞く、素直である、いいアイデアにはいいねという、反面教師として、覚えておきたい。「あらゆることを受け入れる多様性と柔軟性の大切さに気づきます。」と先日おもったが、人も組織もすべてにあてはまる。

 

夕方、久しぶりに友人から着信があった。僕の大学の先輩と知り合って、共通の話題がぼくだったようだ。それから、「最近どう?」と聞かれ、40分ほど質問責めにされた。予想外のQを得られたので、ぼくのAは予想外にうまくまとまった。それから、友人にとりあえずいますぐ読んでおいたほうがいい本を尋ねられ、松岡正剛の『17歳のための世界と日本の見方 』『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』『日本という方法 おもかげ・うつろいの国』の3冊を勧めておいた。これは必読ですよ。選書理由、世界の見方を変えられること、大河の流れや分母を知れること。

 

夜に、そのうちの一冊の『日本という方法』松岡正剛を読み返す。「しゃぼん玉 飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた」、童話しゃぼん玉の歌詞。「どんなことも安全ではないし、予定通りとはかぎらないし、見た目ではないこともおこるし、有為転変があるのだということを告げているのです。それはまさに子供に向かって無常を突きつけているのです。いや、大人にも突きつけた。」「世界も社会も家族も、町も人形もしゃぼん玉も壊れやすいものなのだということ、それらはすでに壊れていることもあるし、壊れたからといってそのことに感情をもてなくなってはもっと何かを失うだろうということを、告発していたのです。」

 

さあ、8月です。