7月23日

日中は危険な暑さだったが、夕方は涼しい。19時までにすべての雑務を終え、縁側で扇風機の首をこちらに向けて固定し、Youtubeで「阿波の遊行」を流す。祭シーズン到来。「祭とは年に一度、神はわれわれの近くにいるのだということを宣言するためのドラマであり、そのための反復祭典です。伝統的な祭の多くはわれわれが山や神の近くにいるということを納得し、そこで遊びながらトランス状態に入っていけるのだということを体験する反復型のシミュレーション装置だったのです」と『花鳥風月の科学』にある。太陽が沈んで辺りが薄暗くなる頃(=黄昏=逢う魔が時)に、昼間の精神から夕暮れの精神へと変わっていく。いま、外はちょうど逢う魔が時。

昼間がこれだけ暑いと何にも考えられない。帰って窓のそばで涼しい風を浴びていると、世の中はどうなっているのだろうか。世の中というと大きすぎるから、僕の知っている人たちはいまごろどうしているのだろうかとふとおもう。最近は、時間のことについて多く書いている。時間の使い方がすべてだと。じゃあ他の人はどのように時間を使っているのだろうか。

夜、情熱大陸とプロフェッショナル仕事の流儀で久保俊治さんを見る。久保俊治さんは羆撃ちだ。インタビューに答える久保さんの言葉と言葉の間に老練さを感じずにはいられない。見終わったとき、今日働いているときに、頭の中に思い浮かんだことを思い出す。ぼくは働きながら、なぜそうするのかを、説明できるように動いている。最近、時間の使い方と同じくらい、言語化の大切さを実感している。そうなのだ。ここでこうするのも、色々やることがある中でその順番でやるのも、考えてから選んでいて、それを言葉でいつでも説明できるように心がけている。そうすると、新しいアイデアに出会ったとき、それともいままでとは全く違うことに触れたとき、自分の無知を知り、自分はこう考えていたということを説明でき、それに対して指摘がえられ、間違いに気づき、新たな経験をえられる。

ものごとをよく考えるというのは、涼しい場所で時間があるときにしか無理だな。19時過ぎには心地よい風が吹いていた。