7月15日

猛暑の京都で試合。帰り道にぶらっと祇園祭に寄る。宵宵山。道中、観光で訪れた外国人に英語で道を聞かれる。ひさしぶり過ぎて、パッと英語が出てこない。途中寄ったコンビニで中国人の店員さんが完璧な日本語で、5000円札のお釣りを、1、2、3、4000円と数えた。語学は難しいのかもしれないけれど、それを語る前に、圧倒的な努力が足りないとしか思わずにはいられない。難しいと思うのは結局のところ、自分のそれに対する熱量不足でしかない。やりたいことがあるのにやれていないのは、単にそれだけの問題なのだろう。

はたまた、いままで続けていたことをやめるには、パワーが必要だ。けれど、それは、時間やお金のことではない。(契約を交わしていて途中でやめるなら解約金は必要だが)じゃあなにが必要かというと、知識と勇気である。今まで続けてきた習慣をやめるなら、自分に深く問いただし、世の中が言う(世の空気が言う)当たり前を疑い、自分の要求を認め、実直にやるしかない。リゾート地にもうひとつ別荘を買うのは、お金があればだれにでもできるが、習慣は今からでもやめられる。やめるその先に何があるのかを自分が知っていればいつだって。

加えて、やめれないけれど深められることを深めたい。例えば、日本語。昨日届いた安田登『身体感覚で論語を読みなおす』を読むと、漢字は表意文字であり、象形文字だから、文字の形に込められた(見えるけれど、現代では忘れがちな)形からみる意味を見てとれる。日本語を深く知るためには、やはり白川静の漢字の世界を通らねばならないようだ。