7月14日

日本語に入り込もうと思ったのは、おもしろいからだった。表意文字である漢字は、意味や出で立ちがその形に宿っている。クリエイティブを意味する、創造の創という文字は、倉に傷を付けることでクリエイティブが生まれるという意だ。

日本語では、同音異義語がイメージでつながっている。言霊を大切にするように、発音を重視する。鉄はてつとよみ、たたらとも読む。鉄と祟りは関連すると思う。遊ぶと荒む、漉く、透く、梳く。サナギ、蛹、佐那具。4、し、死。ホテルに4のつく部屋がはない。

それもこれも、長い間日本に文字がなかったからなのだろう。平安時代に中国から借りてきた漢字の形はそのままに、発音はそのまま使わないで、ずっと使っていた日本語の発音を万葉仮名として漢字に当てはめた。それかからひらがなとカタカナはうまれた。

日本語の世界を知りたいと思うようになってから、言語化がキーワードになっている。だからかわからないけれど、そういう情報が集まってくる。というより、ぼくのアンテナが、言語に反応しやすくなっているのだろう。好奇心バンザイ。

中西哲生さんとストイコビッチがバスケをしていた。ストイコビッチはスパスパ決めるのに、中西さんはぜんぜんゴールを決められなかった。するとストイコビッチが言った。ボールを上に投げないと、はいらないよっと。中西さんはライナー性のシュートを打っていたのだ。よくよく考えてみると、バスケのゴールは地面と水平に設置されている。ということは、ライナーより、上から落ちてくる弾道のシュートの方がゴールの中に入る面積は広い。ストイコビッチは理屈や道理や仕組みをわかっていた。

サッカーやバスケなどスポーツに限らず、あらゆることにおいて、なぜそれを行っているのかを言葉で説明できるようにし、姿勢を示さなくてはならない。そのために理屈を紐解き、言語化する。逆にいうと、言語化をおろそかにしている分野は衰退していくのではないだろうか。というより、言語化できないものは忘れられていくのではないか。