4月23日

よその畑で、仕事をする。話すこと、やること、考えること、全く違う世界に生きている感覚を味わう。よくよく考えなくても分かるのだけど、ぼくたちは当初、全くの他人だ。それがなにを持って、近づき、なにをもって離れ、なにをもって平行線を保つのか。世界はひとつなのだろうけど、世界の見方はひとの数だけある。安易にひとの世界と同じ世界を見ているだなんて、思わないほうがいい。同じ民族、同じ言語を喋っていながら、違う世界にいること、その世界が交わるときにコミュニケーションが発生すること、そのコミュニケーションの細部がぼくは気になっている。京大の京極さんのゴリラの話。

 

正しさとはなんなのだろうか。医療はWhoの見解に基づいているから、この6月でコロッと意見の変わることがあるだろうし、じゃあその前後では善悪があるのなら善悪は180度入れ替わることになる。正しさってなんなのだろう。それに対して、ぼくたちは頑なになるのではなく、いいとわかったら、昨日まであかんかったことでも、反対向いて肯定していく、ソフトウェアを頻繁に更新していく、モビリティとメモリの空きが必要なのだろう。ぼくたちの考えの根拠となっているものが昨日今日で一瞬で変わる時代に、ぼくたちは生きている。だめだと思っていたものが、いいものに変わっていく。情報格差と叫ばれて久しいが、そのことへの対応力はまさしく格差なのだとおもう。この一瞬も世界は、僕の見えていないところで、変わっている。地球はいまも回っている。世界から目が離せない。