4月21日

ほとんどのひとは、体の調子が悪いときに病院(クリニック)に行く。ということは体に問題が起こってはじめて病院(クリニック)に行くということだ。が、今日ぼくは超健康なのにクリニックに行った。そしてそれが正しいとさえおもった。

 

体の調子が悪いときに病院に行くのは、当然のことだが、よくないこともある。たとえば、インフルエンザにかかって高熱のとき、判断能力は著しく低下している。そんなときに、医者の話を聞いて、選択を問われても正しく判断できるだろうか。待合室でとなりのおばちゃんは、サプリに100万円以上払ったという。

 

超健康なのに関わらず、クリニックへ行き、血と尿を採ったのには、わけがある。ムーアの法則を超えるスピードで医療技術は進化している。いままで見えなかったものが見えるようになった。知っているつもりだったことが分かる時代になった。健康状態が可視化できるようになった。血と尿を採って、アメリカの研究所(いまのところ日本ではできません)へ送り分析されたデータ(分析を終えるまで数週間かかる)から現在の体の調子が数字で表されるようになった。けれど素人のぼくはそのデータをみてもなにがなんだかわからない。だからデータを読んでもらうためにクリニックに行った。(血や尿を取るのには、自宅で研究所が用意しているキットがあるが、専門医でないと数字を読み取ることができないだろう)その読み取ってもらったデータから、体に不足している栄養素を摂取すればいいということだ。なんだか奇妙な時代になったともおもう。けれど、いまでは僕たちズボンのポケットにいつでもGPSが入っている時代なのだ。一昔前は奇妙だと思ってただろうが。新技術にはいくつかの壁があって、ひとつは技術の壁、もうひとつは倫理の壁だという。

 

問題はある。ひとつは医療保険が聞かないということ。保険は問題が起こったときに初めて適用される。ひとつは周りの誰もがやっていないこと。だれもやっていなことのほうが楽しいでしょ?ひとつはその医療について勉強をしていかなければいけないこと。どうのような分析なのか。血や尿を送る研究所はどういうところなのか。その仕組みを知っていないと結局なにも変わらない気さえする。それは、車の仕組みや、インターネットの仕組み、スマホの仕組みのように、知らなくても使えるけれど、知っていると使い方が変わるようなものだろう。

 

問題が生じる前に対処しておける時代に、予測治療の時代になった。なぜそこまでするのと問われれば、問題が起こってからより正常な判断ができるだろうし、保険適用外だろうが結果的に費用は安く抑えられるだろう。だけど、いちばんは健康でないと楽しくないからに他ならない。風邪をひいたままの旅行は魅力が半減だが、それは人生にも言えるとおもっている。「知っているつもり」や「思い込み」は強力で、人間の能力を奪う。それを解き放つ方法をこそいま学ぶべきときだとおもって、ぼくは今年ふたつの新たなことを始めようと思う。そのうちのひとつがこれです。