3月7日

お肉のはなし。うちの会社では鹿を商品として扱っているからその一部始終が見れる。一部始終というのは、山で捕まえ、気絶させ、血抜きをし、内蔵を抜き、皮をはいで、部位ごとに肉を切り分け、パックに詰め発送する、または自分たちで食べるまでのすべての過程のこと。で、鹿を動物として見るのと、食べ物として見るの間はどこにあるのか。ぼくの感覚は、皮を纏っているかどうかだ。はじめて鹿が裁かれるのを見ていたとき、なんとも言えない感情がうずまっていた。それが皮をはいだあと、食肉に変わっていた。

 

よく鹿を食べるなんてかわいそうだというひとが、焼き肉をほおばっている。過程をすっ飛ばしていたり、大河の流れを掴んでいないから、季節で違う風の向きを感じていないから、あるいはそう仕向けられていることに気づけないようになっている。最近のぼくが学んだことに、分子だけを見ているというがある。服を着た情報の服をぬがさないで情報を見ている。肉は工場からパック詰めされているわけではない。