3月2日

歴史から学ぶことのひとつに、時間の流れがあるとおもう。何も意識しないで現代生活を過ごしてきて、時間は過去から未来に流れているもので、過去の集積が未来に繋がっているとおもってきた。おもってきたというより、そこになにも疑いなんてなかった。それなのに、最近やたらそうじゃないのではないのかということに出会っている。時間は過去の積み上げではなくて、結果と原因はナポレオンの統計で、生命はレベッカの横取りと物まねで、そこにコピーミスが働きであるなんて、言われたら。たとえば過去の集積で未来を描いたら、同じ未来を描いたとき、同じ過去ができてくる。でもそれがないのは、未来から時間が流れているから、未来から時間が流れているからこそ、その方法はひとによて違い、道のりは違う。富士は見えているが、どういくかはその人次第だ。なんて、ことをいうひとがいる。しかも数名。しかも多読な人たち。彼らはこういう、コピーミスはあるのに、それを見えない回路が用意されているのかもねと。明日は、東京。わくわくだ。