2月8日

なにか考えるときには、判断材料が必要だ。判断材料を集めて、並べて、競わせて、比べていく。そのときに、何を基準にするのかは、その人しだいだし、その時代性もある。価格の安さ、質の良さ、費用対効果、材料重視、色、気持ちよさ。さて、買い物をするときだけではなく、それは世界を見るときにも有効なのだとおもった。というより、判断材料がないほうが危ないのではないのかとさえおもった。ある出来事を分子だけで判断してしまうと問題の解釈がズレてしまう。細かいことを知る前に、大きな流れを知っておくべきだ。

 

たとえば、「寒い」と言ったとする。それが、夏に言ったのか、冬に言ったのかによって、寒さは全く違ったものになる。つまり、分子の寒いは、季節である分母を変えれば、いくらでも意味が変わってくるのだ。夏の寒いはエアコンが効き過ぎているせいだろうし、冬の寒いは大寒波が到来したかもしれない。

 

たとえば、2000円の本という分子があるとする。分母を以前の自分と現在の自分とすると、以前の自分なら間違いなく買わなかったのが2000円の本。今の自分なら、おもしろそうな本ならamazonで迷わずクリックする。

 

たとえば、同じことを同じタイミングで言ったとする。ときに、あいつ真似しよったとおもうかもしれない。それとも、あいつ分かってるなとおもうかもしれない。だれが言ったかによって、違って受け取ってしまうのだから、分母のちがいは相当に大きい。よく考えてみると、たまたま同じ興味を同じタイミングで持っただけだったのかもしれないのだから、あいつとはうまくやれそうだと考えた方が未来は楽しいだろう。

 

たとえば、スペインを分子にしたとする。分母は、日本人とバルセロナ出身のひととする。日本人がスペインを見たらサグラダファミリアや闘牛やパエリアのことをまず思いつくだろう。けれど、バルセロナ出身のひとがスペインを見たら、バルセロナはカタルーニャ州で、自分たちのことをスペイン人ではなくカタランだと考えている。マドリッドとバルセロナは大きく違うのだ。事実、マドリッドはスペイン語だし、バルセロナはカタルーニャ語だ。そのときには、歴史の流れを見なくちゃ本当のことは何も見えてこない。

 

世界を見るとき、分子だけで考えがちになる。わかりやすいものだったり、目の前で起こったことなどの表面的なことに目がいってしまう。だけど、分母を考えながら、分子を見なければ、本当のことはわからない。そうおもったとき、分母となる知っておかなければいけないことをぼくは知っていないことに気づいた。