1月13日

『日本力』松岡正剛、エバレット・ブラウン対談集を読み終える。セレンディピティ。情報やひらめきをグーグルは取りに行ってくれるけど、自分の探しているもの以上のものを見つけられない。偶然と出会えない。なにかあたらしいものや、ひらめきを得るには、そういったときではなくて、時間や手間をかけて下地を作っておかないといけない。そしてそれは、精神と身体の深いところで起こっている。意識とコトバと身体。短歌は声を出して読み、振動を、響きを身体で感じる。体と言葉が通じている。

 

それから、ただのシンプルではダメだ。フィロソフィーがいる。ヒントは和菓子にある。正剛さん「和菓子はああいったサイズで、とてもシンプルですけど、ありとあらゆる形と色があって、多様なんです。」かつて陰陽のバランスをうまく取っていた日本人はいまは陽しか見えていないのではないのかと、エバレット・ブラウンが言った。「灯を消せば、星が見えるのです。」文化は見えていないだけで、地下を流れている。ときに地上に出てきて、見えることもある。あるいは、ストレンジャーによって発見される。それは、外国人かもしれない。それとも、ぼくたちなのかもしれない。なぜなら、ぼくたちは空っぽだから。生まれ育った時代背景に、過去のトラウマの遺産をあまり引き継がなかったからなのだろう。少し前まで、古臭いものとあつかってきたものを、伝統的なものを新鮮に感じるからなのだろう。だから、ホームポジションを持っていなければいけない。それをぼくはルーツと伝統芸能と日本の編集方法だと睨んでいる。能の翁、近松の人形浄瑠璃(日本乞師の鄭成功のはなし)を本当に見たくなった。京都が近いから今年は行きたい。その前に、しっかり下地を整えておきたい。