1月12日

準備。一年の最初にそういうことを考えているのだから、そういうことなのだろう。なにかが起こりそうという直感がそうさせているのかもしれない。だから、今年に入って、やらないことリストと、少しずつエクササイズをはじめた。

 

311東北大震災が起こったとき、大学生だった。数百キロ先で起こったことを、直に体感できなかったけれど、どうやらそれ以来、危機感のようなものがぼくに芽生えた。おそらく生物的な危機。それ以来、生きていくことについて考えはじめたのは間違いない。ぼくたちはどう生きていくか。ぼくはどう生きていくか。日常に虫眼鏡をあてるように、生活をクローズアップする感じ。生きていくためになにをしなければいけないか。ひとりの人間として強くならなければいけない、ひとりの人間として面白くならないといけない、とおもいはじめた。このころぼくが語ることなんて、テレビで見たことをただしゃべっているだけで、そこには意見も、背景もなにもなかったんだから、そりゃおもしろくないわな。

 

学校で学んだことで、生きていくのには役に立つことは少ない。だけど、自分で意識的に学ぼうとすると、世界は味方になることを知った。そういうことは、現場の人からしか学べないことを知った。考え方とそれに付随している技術が大事だと思った。センスはひとからしか学べない。

 

辻まことは、「遊びとは行為それ自身が目的であるからハナハダスポーティーで生き生きとしているのである。遊べる人間の精神にはこの健全な小児性と未開性をかかすことができないが、なおその上に健康な肉体が是非必要であろう。」といったし、Stuben Magazineには、「スキーとはただ競技に良い成績をあげるなどということではなく自由な自然の山地を滑り、日常の仕事や疲れを回復し、心のわだかまりを取り去ることにある。ただ元に復するのではなく、身体を鍛え、精神的にも抵抗力を高めることにある。このために技術を取得し、回転を極めるのだ。」とある。

 

「人生とは旅であり、旅とは人生である。」中田英寿が29歳でプロサッカー選手を引退したときにそう言った。たしかにそうだ。だが、気をつけたいのは、その旅が、パッケージ旅行にならないようにすること。そうじゃないと、自分で楽しむ能力がなくなってしまう。だから、旅は自分で計画を立てる。自分で計画を立てると、手間や時間がかかる。けれど、行きたい場所に行けるし、ナラティブにも出会える、なにより、計画を立てているときが楽しい。人生も。