9月11日

一日はたんたんと過ぎていく。松岡正剛『日本という方法』、磯崎新『磯崎新の仕事術』を読み返す。

 

伊勢神宮の方法:今の形式は、少なくとも、強力な日本的なものを押し出したいイデオロギーに基づいて作られた。(磯崎新『磯崎新の仕事術』より)

 

本居宣長の方法:宣長は、「おのずからしからしむるみち」というものだけがインターフェースになるべきだと考えます。「おのずからしからしむるみち」とは、漢意をつかわないで、古語のまま日本の面影の奥へ分け入れるはずだと宣長が確信した方法のことです。(松岡正剛『日本という方法』より)

 

司馬遼太郎の方法:「核心は書かない」「糸巻きのように周りのことを徹底して書く」そして「最後に空虚なものが残る」核心と空虚を残す。 (松岡正剛『日本という方法』より)

 

ものの見方を変える、ということを意識せざるを得ない。というのも、同じものをみていても、違う風に見えるのは確かで、それが楽しみなわけだから。

 

畑で野菜を育てるには、土を起こさなければいけないとおもうのはなぜか?そしてそれは本当なのか?自分が勝手にそう思っているだけではないのか?