9月2日

大津で試合。試合後、トレーナーと話す。僕は、ケガとか、どこかが痛んでいるとか、不健康とか、調子が悪いというのは、鉄が曲がっているような状態だと認識している。鉄の棒は本来はまっすぐなものだとすると、曲がっている状態が、なにかしら悪い状態だ。

 

それを治すには、本来を知ることと、その正しい使い方を知ることだ。鉄の棒の本来は、まっすぐだ。曲がっている部分元に戻すには、叩いたり逆方向に曲げたりして、まっすぐにする。まっすぐに戻ったとしても、正しい使い方をしなければ、また曲がってしまう。だから、鉄の棒の正しい使い方も知っていないといけない。 怪我をしなければ、体の大切さはわからない。失敗から学ぶことこそが、ひとの知恵なのだとおもう。そう考えると、曲がった鉄の棒を本来のまっすぐに戻して、正しい使い方で曲げないように使っているひとのいうことがぼくはすきだ。

 

試合後、本屋に立ち寄る、スリープモードだった頭のなかの想像を司る部分が急に動き出す。あれやこれやと、本を手に取る。本の背表紙のタイトル、著者、フォント、デザインからいまのぼくが働かせられる限りの想像力を総動員する。表紙、目次と熟読して、本の構成を想像し、はじめの数文を読む。そんなことをしながら、今和次郎「日本の民家」、植草甚一「植草甚一コラージュ日記」、服部文祥「アーバンサバイバル入門」を購入。あかん、いい棚のある本屋に行くと、知らぬ間に本を持って、レジの列に並んでいる。