8月3日

今日は、Sigur Rosの()を聞く、夏らしくない一日。リーマンショック以降、人々は世界が過剰だということに気づきはじめた。そのころ時を同じくして、インターネットで音楽の配信が始まった。その当時のネット回線は非力で情報量が少ないため、音楽もまた無駄を省く必要があった。時代の流れとテクノロジーによって、ミニマルがはじまった。

 

無駄なものを削ぎ落として残ったものが民族性だった。カタルーニャやスコットランドなど世界中で、独立運動が盛んなのは、そういった地域のサイズ感の見直しなのかもしれない。というのが最近の流れ。これから個人もそうなっていくのではないだろうか。ということは、何かを考えるときに、頭で日本語を使っているぼくは、日本人なのだから、ルーツとしての「日本人とは何か」を考え、それをベースにした行動を取るのが、世界的なムーブメントに乗るということなのだろう。