7月2日

「紅の豚」と「もののけ姫」を連続2作見る。ないものでひきたてるということ。映画やものがたりのおわりかたがそう。紅の豚のポルコのその後や、もののけ姫の呪いを背負ったアシタカとサンのその後など。すべてきっちり書き切るんじゃなくて、読者の、見るものの想像に任せるということ。「私たちの先祖たちは、水を感じたいからこそ枯山水から水を抜いたのです。」と松岡正剛さんの「日本という方法」にあります。ジブリ映画の細部のこだわりはやはり凄まじい。(もののけ姫のシシガミが現れて、音がなくなるシーンには、無音という音が使われていて、無音を録音しにロケに行っていたりなど)

 

あるメモを見つけた。初めて訪れる場所で、その場所がすばらしいかどうかをみわけるのには、「この店は細部にこだわっているか」を見るとある。なるほど。たとえば、レストランなら、味はもちろん、店は綺麗に掃除がしてあるか、サイト、看板などはどうかを見るという。

 

ひとを誤魔化そうとしたり、これだけでいいやということは簡単にできるが、いいとおもえるものには、やはり細部に神が宿っているものなのだということを再認識する。本物は出会った瞬間、なにか違うってのがわかる。