5月11日

猪谷六合雄の雪に生きるを読む。昭和18年初版、約75年前の本。現代仮名遣いに変わる前の仮名遣いなので、最近のぼくには都合がいい。想像力が掻き立てられる。

たとえば、「読まう」とある。これは、「読もう」なのだけど、ぼくのイメージは、「夜舞う」あるいは、「世舞う」。本を読むといいのは、夜の暗い時間も楽しんだり、見たこともない世界を認知して楽しむことなのだろう。

さて今日の仕事は齢70を越える師匠の師匠、スターウォーズでいうとヨーダーのようなひとの手伝い。敵わない。同じことをしていては敵わない。経験はブリコラージュだと今日も認識することにまる。たとえばそこに、はしごがなければ、桧の枝を足の掛かる長さだけ残して切って梯子にする。こんな具合に道具がなければないで、その場で別の使えるものを使って、どんどん先に進んでいく。

ぼくは、ジェダイマスターの手となり、足となり、フォースの使い方を学んぶ。経験という、いつ使えるかわからない、おそらく役に立つであろう、目に見えない、重さもない、持ち運び可能な、図面化できないノウハウを体に染み込ませる。

それを整理しながら引き出しに蓄え、取り出す際には、現代性とつなぎ合わせ、過去と現在から、いままでにない、新しいものを作り出していく。いかなきゃならぬ。

帰り際に、リポビタンDをいただく。