3月11日

社長とタローさんと仕事終わりに楽豚に行った。田舎で外食をする場所を探すのは難しい。驚くぐらい美味しいと思える場所が少ない。素材がいいから、結局自分の家で作るのようになる。結果、忙しさにかまけて、コンビニで済ますか、丁寧に作るかの二極化が進む。


ひさしぶりにタランティーノのパルプフィクションを見た。いろんなシーンが時系列をぐちゃぐちゃにして飛び込んできうる。これに対して、意味を理解しようとしていたが、読み取るべきなのは、スタイルだといまはおもう。あらゆることに、意味が隠されており、それを探すように、あるいは、意味があるだろうと自分に言い聞かせて理解しようと、あるいは、意味に自分を合わせているようにおもう。それに気づいたのは、スーザンソンタグの反解釈を読んだから。ジル・ドゥルーズのリゾームとかもそこにつながっているようにおもう。(まだ読んでないけど、はやくよみたい)。世界が変わるというのは、見方が変わること、別次元が見えることのようにおもう。


春がどんどん近づいてきて、キャロル・キングのタペストリーがいい。