5月3日

日曜日の9時頃に幹線道路を走っている。天気は曇り。家で淹れたコーヒーにCBDオイルを入れ、揺れる車で体を揺らしつつ、久しぶりに買い出しにゆく。

 

10時ごろに白川通を走る。道路の中央を分けるように並ぶ樹木が新緑の葉を茂らせている。風のない昼前の京都は蒸し暑くなる一歩手前で、窓を開けて走っていると懐かしい空気が入ってくる。マニラにいたときのような、カウチで宿泊した台湾の夕方のような、南国の風であった。いましばらくは、海の外へ行くことができないので、懐かしむしかないが、落ち着いたらシンガポールの友人を尋ねたい。

 

ステレオから細野晴臣の『バナナ追分』が流れる。「身体が揺れる 世も揺れる 心の外に 飛んでいく」と歌う、メロウな声に、心も体も揺らしながら、人がまばらな観光都市京都の左京区に入る。

 

丁寧に作られた商品を販売するスーパーに、開店直後の10時過ぎに着くと、10人ほどが並んでいた。店内では、近所のスーパーのように、小麦粉やパスタが売り切れていることはなかった。それはおそらく、このスーパーに買いに来ているひとは、なぜこのスーパーに来ているのかを知っているからなのだろう。古式しょうゆ、三河味醂、富士酢、鰹節などの調味料とタネを仕入れる。

 

店を出て、市内をぶらっと走る。ゴールデンウィークの京都に人がいないのには、驚いた。明らかに車が走っていないし、歩道もすいすいだ。いつも道幅を埋めるくらい列が重なり合っている出町柳の豆大福屋さんも車で走りながら、並んでいる人はまばらであった。京都は観光に頼りすぎていたのだろうと、観光客がいなくなって実感する。平時のダウンサイジングや価値観OSのデュアルブートの難しさと大切さを、窓越しに思う。生活についての見方を改めなくては。いまのところの雑な感覚では、観光とそれ以外の軸を持たなくてはいけない。その軸は、観光がなくても生きていける(経済活動でなくてもよい)って感じかな。新たな与件あらわる。

 

帰りの、高速道路にも車がほとんどない。ゴールデンウィークなのに。休日の深夜なみの交通量の高速道路を駆けて家に帰る。

 

本日24時締め切りの課題に手を付ける。校長の選んだ本を10冊読んで、自分なりに束ねる。この10冊をいま選んだ理由を考えながら、24時3分前に提出する。風呂に湯をためて20分浸かる。風呂を出て、窓を開けたら雨がしとしと降っていた。まっすぐ落ちる夜雨を聞きながら、窓のレールに腰掛け、ぬるい緑茶を飲みながら、ぼんやり部屋を覗く。なにか言いようがなく、思い出せない心象風景を感じて、胸がぎゅっとなった。ひさしぶりに夜更かしして、夜風に当たるのは悪くない。明日も休みだ。