5月2日

わたしはいまどこにいるのだろうか。

 

一瞬とまどう。5時30分起床。コンパスが迷っている。いや、コンパスは迷っていない。正しい。コンパスは正しい。わたしがずれている。北はどこだろうか。そうだ、日本海にいるのだった。

 

生活の感覚に、山や海や都市など環境が及ぼす影響は大きい。自然環境とどう対峙していったかと、苦しさと、信仰と、考え方と、文化と、建築と、芸能と、ひとびとを、ひとまとめに見なければいけない。本を読むとき、その著者の生まれ育った場所のこと、その時代背景のこと、誰に師事したかをちゃんと見ていかないといけないなと、富山平野を見て思う。

 

■□■□Memo■□■□

ぼくの部屋の机には、「物事に迷ったら戻る本」がいくつかある。そのうちのひとつに、松岡正剛『日本という方法』がある。そこには司馬遼太郎の方法は、「核心は書かない」「糸巻きのように周りのことを徹底して書く」「最後に空虚なものが残る」という作法に徹底している、とある。

 

それは、周囲を埋めることで、語っていないのに、語らせる方法ではないか。周囲を「らしさ」(「ないもの」の「らしさ」とのコンビ)でうまく配置する。そうすると、語るよりも意図したいことが浮かび上がってくる。たとえば、「部屋にないもの」を思い浮かべる。ぼくの部屋には、テレビがない、時計がない、ベッドがない。さて、このことから思い浮かべる、ぼくの人物像は?

 

こうして司馬遼太郎は明治を取り上げた人物の背景を丹念に調べ上げ、うまく配置することで、「ないもの」に語らせたのだとおもう。そこから明治とはどういう時代だったのかが浮かび上がってくる。

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散居村の砺波平野を一望しようと、展望台のある山に登るが、天気予報の晴れはむなしく、雲に覆わていて、ときおり雨が降る。朝食をとりながら少し待っていると、辺りは明るくなり始め、雲が散り、その隙間からちらっと、水の田圃と散居村が現れた。すばらしい景色に見とれる。

 

旅にうまい下手なんてないだろうが、やはり図だけの旅には味がない。地を感じた上でたのしめるのが図なのだとおもう。白川郷を見に行くだけでなく、白川郷の住居ができたのはその土地の人が自然と対峙した方法からなのだろう。雪の多い山間部で生活していくのに見合った文化の背景を感じながら合掌造りを見て行くと楽しいのでしょう。

 

さて、富山まで行ったのだからと、ずばっと日本を縦断したい衝動にかられ、来た道を戻るのをやめ、飛騨高山を抜けて、郡上八幡を通り、美濃から伊吹山を通って、白山一帯を時計回りに一周して円を繋げた。

 

ゆっくり谷あいの道を窓を開けて春を感じながら走っていると、途中、飛騨一ノ宮の水無神社の祭りに遭遇した。ここは『夜明け前』の島崎藤村の父が神主だった神社だった。

 

境内の蔵にしまわれている神輿を男衆が担いで本殿へ運ぶ。静かな境内で、男衆が太鼓を叩き、鈴を鳴らすと、いきなり風が吹いた。残っている桜の花びらが舞う。しばらく鳴り響く。本殿に安置されている祭神が神輿に乗ると、男衆は笛や太鼓や鈴を鳴らしながら、境内を後にした。神輿が運ばれて行く後を追うように、太鼓のリズムに合わせて鈴が鳴る。音連れ(おとづれ)である。神輿の後を音は付いて行く。残された境内には音さえなく静まり返り、空っぽになっていた。「物事に迷ったら戻る本」のひとつ、『花鳥風月の科学』で読んだ「おとづれ」が、体験と結びついた。

 

■□■□ 松岡正剛『花鳥風月の科学』より■□■□  

神の到来を日本では「おとづれ」とよびます。「おとづれ」は音連れです。 音がしたというより、音としかよびようのない名状しがたい動向がやってきたという意味です。古代には、この「おとづれ」を実際にも聞こうとした痕跡があります。それはサナギ(鐸)とよばれた鈴に似た器具をサカキのような樹につるし、しばしその前に虚心にいて、そこへ風が吹きこむような音を聞くことによって強いスピリットの到来を感じたという方法です。 初期のサナギは鈴とちがって舌がありません。だから風が吹いても風鈴のようには鳴らないのですが、そのかわり、何かが微かに吹きこむような音がする。それを人々は聞く。なんだか気分が集中し、高揚します。これをタマフリ(魂振り)といいます。魂がゆさぶられて高揚するという意味です。では、そこにおとづれてきたのは風だけかというと、そうではない。そこには「神という未知の情報」がまじっていたのです。

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そこから、王舟を聞きながら、高山と郡上八幡を繋ぐ、せせらぎ街道を気分良く走りながら家路をたどる。平成とはなんだったのか、令和は「夜明け」なのだろうか。ぼやけていたピントがすこし合った遊行であった。今年のステップが見えた。邁進するのみ。