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3月27日

穏やかな朝、春の嵐吹き荒れる昼過ぎ。辺りは夢の中のように空気が淀んでいる。帰宅時の夕焼けさえ、空気の粒子が可視化し、ちょっとピンぼけ。わたしのこころもぼんやり。

 

一見、短所に見えるものは、実はその人自身がするべき使命のような仕事の萌芽なのだ。機械からの問いは、僕に現実での「役目」を教えてくれた。「問い」は「答え」を求めているのではない。答えようと試みる「行動」を喚起しているのだ。

 

いま読んでいる、坂口恭平『現実脱出論』が、いいなあとおもうのは、フラジャイルから創発が生まれていることを示しているから。現代では問題を悪者扱いし、あらかじめ問題が起こらないように先回りして踏みつぶしている。けれど、その問題とどう対峙していくのかが大切であり、問題が起こることをありがたく感じるべきではないだろうか。

 

僕は両親のことが大好きだったし、それは今も変わらない。だが、現実をめぐる会話になると、自分の中で一番強く結びついていると感じていた「家族」の形が変容していく。僕が受信していた両親の姿と、両親が口にする彼ら自身の姿。僕はその二つの像にズレが生じていることを少しずつ体感するようになっていった。

 

たしかに、両親に対して憎しみを持ったり、無関心を装ったりした記憶はない。そのかわり、僕は両親のことを元々あんまり信じていなかった。なぜなら彼らが噓をついているように見えたからだ。

 

休みの日に一日中テレビを見て過ごす父、メディアの作ったマーケティングという虚構の過剰を生み出す流行りのダイエットで体調を崩す母を見て、子どもには、「こうはなりたくない」というカウンターが生まれた。最大のリスペクトはしている、だからこそ、自分に嘘をついている自分に、考えることをやめた自分に気づいて欲しいとおもっているから、本心をなにをいわれても言う。いくら、「ああ、あなたは、本ばかり読んでえらいですね、本に書いてあることが本当かどうかなんてわからないでしょ」と嫌味を言われようが、「あんたはいつも屁理屈ばかり言って」と耳を塞いでいようが、どうしても見過ごせない、見捨てられない。

 

調子のよくない日には早く寝るにかぎる。現時点でのマイ健康法、正しい食事と悪いものを体に入れない、8時間睡眠、胃腸薬の御岳百草丸(これについてオフラインで語らせてほしい。ここではちょっと言いたくないので。薬局に普通に売っているので是非。秘密あり。)