3月22日

瑣末を大事にするとは。

 

大人はなんでも知っていることを装って(実際はなにも勉強していないのにまわりの大人がそうしているからという理由で→責任を引き受けられないから)、子供塾に行かせるように、あーしろこーしろ、あれはやらんでいいという。帰り道の道草や授業さぼって海見に行くことの効果は信じられていない。数字ばかりを信じすぎている。数字はひとつの指標としてはOKだが、それだけを見ていると「たまたま」の失敗をゆるせない、「失敗には必ず原因がある」幻想を信じ込んでいる。確率論はまったくデタラメなのに、合理だけではいっぱいいっぱいで、「合理的」と使う人は幻想の世界に生きているから、そんな人の話シカトして、自分の手や足を動かす。その基準は、岡潔のいう情緒なんだとおもう。

 

イチローが引退したのを今日の朝、知った。家に帰って、晩飯をこしらえながら、引退会見をYouTubeで見る。気になったところを切り取る。

 

・アメリカの野球が頭を使わなくてもよくなってきていること →アメリカの野球というと、データ野球のことが頭に思い浮かぶ。選手のプレーを数字や確率で分析しプレーする野球も、まあわるかないが楽しくはないだろうなとおもう。 →イチローのメッセージは、「頭を使ってください」 →僕は、この部分超気になる。気になっているのは、瑣末、情、絶対矛盾的自己同一。

 

・次のステップに行くときに 成功するか失敗するかではなく、やりたいと思えばやればいい。成功するか失敗するかで選べば後悔する。問うのは、本当にやりたいかどうか。いてもたってもいれれないかどうか。

 

さて、心と体がわかれているとするなら、ここのところ、ふたつのバランスがどん底だったが、まあ、復調の兆しがあって、じゃあそろそろ、やったりますかと気分は右肩上がり。やることたくさんあるんだよなあ。3月ラストから4月はゆったりと過ごして心と体を整える、社外秘の7年計画と細かいステップを立て実行のプロセスに移す、古典とぼくのコアブックスを読む。寝る前に千夜千冊『老子』を読んでから、『老子』を注文した。そろそろ『老子』が旬な時期のようだ。

 

そういや、Qさんがイニエスタの話をしていたのを思い出す。「日本人はせこい。謙虚だとおもわれているけど、チャレンジしていないだけだ。ミスすることや責任から逃げているだけだ」と。