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3月18日

面影へ移ろう時を眺める。そこに「わたし」はいらない。主語のわたしを方法によって隠し、それでも溢れ出すシミのような「わたし」が、瑣末な「わたし」が、本当の「わたし」なのでしょう。

 

ぼんやりああ春だなとおもって起きたら、冷たい空気に足をすくわれ、ストーブをつける。里の景色は色づきはじめる。太陽が生まれる方角はすこしずつずれている。田んぼには霜が降りている。頭は春だとおもいつ、身体はまだ寒さに耐えている。

 

仕事から帰宅して、郵便ポストを覗くと、寺山修司『われに五月を』と白洲正子『風花抄』が届いていた。そこに、配達の兄さんがソンタグ『ラディからな意志のスタイル』を持ってきてくれた。そういえば友人が、稲垣足穂を読んでいたときに、素敵だなあ、でもわからんとおもったそうだ。それであるときタワレコであがた森魚のタルホロジーを買ってみたら、その世界観にやられたという。

 

千夜千冊 1701夜スーザン・ストラッサー『欲望を生み出す社会-アメリカ大量消費社会の成立史』 ( https://1000ya.isis.ne.jp/1701.html )「いまや時代は「情報選択時代」に傾いているけれど、みんなでいくら「いいね」ボタンを押したってそこから「商品フェチ」は生まれない。平均化がおこるばかりだ。これはつまらない。むしろこれからは、個人の好みが際立っていく少数フェチ派が罷かり出るのが、待ち遠しい。オリンピックには日本からのフェチ商品をこそ乱打させたら如何なものか。」

 

寝るまでの間は、小林秀雄・岡潔『人間の建設』を読む。二人の対談が収められている。ゆったりとよどみのない対話だったんだろうなと文章から感じる。対談本を読んでいると、ふたりの間でなされる会話からうまれる、ひとりで考えているときにはうまれない、フラーのシナジーのようなものが生まれる瞬間を楽しみにしている。

 

本を読む楽しみ(あるいは、この世のものを見るときには)とは、書き出しで作られる世界観、その世界観をズームインし、そこから別の軸を持ってきて対比を作り、メタファーを用意し、語り部の文体を味わうことだろうな。