3月12日

帰り道に、ジョニ・ミッチェルのHejiraを聞く。これは彼女が旅をしながら書いたアルバムで、ほかのアルバムは誰でも書けるかもしれないが、このアルバムだけは、まずむりねと。彼女の感情がアルバムに溶け込んでいる。

 

一回だけしかできません。一度やってしまうと、残されたできることは稽古の面影を思い返すことしかありません。卒業式を先週末に終えて、もう懐かしい気分があります。「自由にやりなよ」と最近の大人はよく言うが、それはどうなんだろう、ぼくはあまりよくないとおもっている。ディレクション、指図はやはり大事だ。わがままな指図はよくないが、思想のある指図は、ヨーダーの金言のように、弟子に伝わる。カギルというのは、わるいことではありませんよ。その用法に問題があるだけですから。

 

夕食を終え居間のこたつで、オヤジがテレビを見ているその横で本を読んでいる。テレビは健康番組で、それを見て、ほおおと驚いている。オヤジの情報源はテレビだけで、テレビで見たことを我が体験のように語る。

 

先日のセキグチさん夫婦と本の話。なぜ本を読むのか?それは、いくつもの視点が得られるからだと奥さんが言った。

 

手塚治虫『ブッダ』を読む。読んでいると、以前との目の付け所や気付きが違うことに気づく。その世界の背景を気にし、複数の語り手の視点の重なりに注意し、出てくるキャラクターの意図を感じ、擬音に馴染む。もっといろんな視点があるんだろうが、いま気づいたのはこんなものか。4ヶ月の稽古がよかったのだろう。次段階への挑戦は確定。効果てきめん。出会ったひとたちも素敵な人たちだったなあ。と面影を追いかける。