3月1日

クラスメートのタカノさんが、「何かを理解したり知覚したりすることって、細部に目が向いてしまうということなのでしょうね。」と言った。3月です。

 

手元にスマホがあると分からないことがあれば、すぐググる。マクルーハンが指摘したとおりなら、メディア・スマホの影は、社会に溶け出していろいろに影響を与えている。分からないことがあれば聞けばいいとなり、結果的に考えなくてもいい世の中、スマホの中に答えがあると思い込む世の中、ブリコルールを欠いた世の中になっているんじゃないだろうか。

 

カーナビにアドレスをセットし、案内されるとおりに車を運転すれば目的地には着くけれど、いざカーナビが故障したらたどり着けなくなるのではないか。野生の思考を弱める習慣やテクノロジーには気をつけなくちゃいけない。(便利は結構、不便を我慢する必要はないが、時間をかけてでしか手に入らないものはあるし、それを厄介者扱いしすぎなのだとおもう。)

 

カーナビを使わない。テレビを見ない。本を読む。段取りは自分で決める。コンビニに行かない。当たり前を疑う。信頼の置ける先達を見つける。誰もやらないことをやる。行き当たりばったりや道草を愛する。

 

世阿弥『風姿花伝』と寺山修司『家出のすすめ』と宮沢賢治『どんぐりと山猫』と星野道夫『旅をする木』を読みながら、清沢満之のことを考えている。