1月26日

雪舞う土曜日の朝。事務所へ向かうが、どう考えても山の中は雪が積もっているからと、午前中は事務所でグダグダ。ダラダラな会話の中にも、アンテナを立てていると、おっ!とおもうことはある。今日引っかかったのは道具についての見方。同じ種類の道具で少し形状が違うものがある。その違いを考えるときに、ぼんやりしていてもなにも思い浮かばない。そんなとき、二つのアプローチで道具をみるといいんじゃないかと思った。ひとつは長所を伸ばす工夫、もうひとつは短所を減らす工夫。そういう風に見たとき、たとえば、ある部位が弱いから補強するために形が違っていたり、よくなくしやすいから色をつけてあるなどが想像できる。ほかの見方もあるのだろうが、ひとまず、この2種盛りを。ものごとを考えるとき、型を事前に用意しておくと、ぼんやりが気づきに、無意識が意識的に変わる。

午前中をグダグダ事務所で過ごし、まだまだ雪が降る中、さっさと帰宅する。昼食をパッパッと食べて、すこし昼寝して、濃いコーヒーを淹れたら、食材の買い出しへ出かける。

まずは大津へ。よくいく道の駅では、雪のためか客足が少ない。夕暮れに出向いたのにもかかわらず、いつもはほとんどない野菜がたくさんあった。暇そうなレジのおばちゃんと喋る。おばちゃんがやさしく接客してくれたのは、客足が少なく余裕があるからだった。時間の余裕はひとをリラックスさせる。時間的余裕を求めていこうではないか。

それから雪積もる大原を超えて、京都の左京区にあるグッドな食品を取揃える商店へ。みりんと味噌を仕入れ、店内をぶらぶら。おっ、これどこかで見たことあると思って手にした鶏肉は、神山鶏。今東京で気になっているラーメン屋があって(こんど東京に行くから食べに行きたいとおもっている)、処方箋ラーメンというのだけど、そのラーメンに使っている鶏肉だった。手羽元を 1000円ぶん買って、出汁を取ろうと思う。

30分だけ恵文社に寄る。鋭い視線を放つ幸田文の随筆と、贅沢貧乏な森茉莉の随筆をひとつずつ読み、喉に刺さった骨が取れない感じの山ノ口獏の『鮪に鰯』を読んで、料理棚へ向かうと、サンダー・キャッツのZINの翻訳が出ていた。要チェックしておく(Amazonのほしいものリストにin)。時間に追われ、ささっと出て、フットサルの練習へ向かう。

練習を終え、帰宅したら、来週のご飯の下ごしらえをする。いただいたイノシシの1/3は塩豚にして、三日寝かせてポトフにするか炒める。1/3はサイコロに切って冷凍へ。残りは、本日のイノシシのスープ。仕入れた沖縄産新たまねぎとかぶを糠につける。昆布出汁もつくる。

なんだか、食べ物を強烈に意識して、そのことを周りの人に話していると、食べ物が寄ってくる。引き寄せの法則は世界を包んでいるようだ。実験的に食事制限をし、食べ物のトレーサビリティを確認しながら、食事をしている。たとえば、鶏肉ならどんな品種で、どういう風に育てられ、何を食べているのかなど。めんどくさいかもしれないけれど、まあ実験なんでね。大人な自由研究、実験対象は自分の体。調子良かったらフィードバックするよ。

食のトレーサビリティを見ていくと売りものって、めっちゃ不透明なものが多い。この分野なら、私個人なら攻め込めれそうなれそうオーシャンだ。ふっふっふっ。現時点でぼくが手に入れやすいトレーサビリティがある程度わかるお肉は鹿肉。野生の動物って何を食べてるかわからないって?そりゃそうだけど、スーパーの牛肉って何を食べているかわかりすぎて怖い。逆に。

われわれのからだが食べ物でできているという事実を誰もが知っているが、食べ物のことを気にしながら毎日の生活を送っているひとは少ない。食べ物で健康を保つ秘訣は、何を食べるかではなく、何を食べないかというのが、トレンドである。今月の本は食べ物関係が多そうな予感。しばらく採算度外視な食生活になる予定。

最近注目している人の特徴:多読、言葉の世界に飛び込んでいる、アウトプットもこなす、マルチタスキング、食を強烈に意識している、健康と食が結びついているひと、二兎を追っている、軸足多数、主題より方法に光を求めている